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最強だった

私がカシアス・クレイを知ったのは中学生の時だった。後のモハメッド・アリである。

当時の日本はボクシングの全盛期、ガッツ石松や輪島功一、海老原、小林、大場など、軽量級ではあったが世界チャンピオンが多数いた。

さらに沢村忠に代表されるキックボクシングの全盛期でもあった。プロレスもアントニオ猪木、坂口征二などの人気でゴールデンタイムに放送されていた。

そんな時代に世界のヘビー級タイトルマッチがあった。互いに無敗のジョー・フレージャー VS モハメッド・アリだった。フレージャーのフットワークにアリはついて行けなかった。それほどフレージャーはすごかった。アリ自身、初めての負けだった。しかし良い試合だった。

新しく世界王者になったフレージャーにその後、挑戦したジョージ・フォアマンが勝利をつかみ、新しい世界王者となった。フォアマンのパンチは重く、メガトンパンチと言われていた。ヘビー級のすごさを感じた。

その新王者フォアマンに挑んだのがアリだった。3度目の世界戦挑戦だった。当時のアリは残念ながらピークを過ぎていた。世界中がフォアマンの勝ちを予想していたがアリが奇跡を起こした。ザイール(現在のコンゴ)のキンサシャで行われた試合だったので、その勝利は「キンサシャの奇跡」と言われた。

そういう現役のヘビー級ボクサーだったアリに小国、日本の猪木が挑戦した。これが初めての異種格闘技だったかも知れない。そしてアリが東京へ来た。日本中が、いや世界中が注目した。結果は引き分けだったが見応えはあった。私は東京の下宿でテレビ観戦した。22歳だった。

異種格闘技の挑戦を受けたアリはすごい。さらにアリとの試合を企画した猪木もすごい。相手は世界のアリだ。誰もが考えなかった企画力は尊敬に値する。

「俺が最強だ、最も偉大だ」アリは言っていた。確かに最強だった。
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by kodama-express | 2016-06-05 09:11 | あーちゃんHISTORY | Comments(0)

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